それにしても、彼はなぜ、郵政民営化というものだけに、ここまで執拗にこだわり続けるのか、僕にはわからない。
もちろん、郵政改革はいつかやらなければならない改革であるとは思う。しかし、今、それを最優先課題としてやることではないと思ったからだ。
日本には、それぞれの立場を持った、たくさんの人々が住んでいる。中には、郵政民営化を待っている人もいるだろう。しかし、他にもいろいろな政策の実現を待ち望んでいる人々がいる。特に、今現在でも、僕の身の回りにも、たくさんの「不景気」というものに未だ振り回されている、人、物、事情、現象、その他いろいろたくさんある。景気は回復してきているといっても、数字の見かけだけのような気がする。現に失業率が回復してきたといっても、実際は、派遣やアルバイト、パート労働者などの流動的な雇用が増えているだけの感が否めない。そんな未だ不安定な景気を完全な回復基調へ乗せてほしいと思っているのは、僕だけではないはずだ。
そんな風に少なくとも僕の中で、彼の神話がとっくの昔に消えた今、ここまでの一連の流れが、単に彼のパフォーマンスにしか思えず、ただただ、あきれるばかり。でも、彼は、たぶん今頃、ここまでした自分のパフォーマンスに自分で酔っているのではないか?とさえ思える。また、反対議員の選挙区に対抗候補をたてるあたりも、一種、精神的な何かを感じる。変人ではなく、ただの病人なのかもしれない。
またもうひとつ飛躍した感想をいだくなら、この結末は「抹殺」された者に本当の刺客を送られるか、郵政民営化が実現しなかった末に彼が自殺するか、そんな殺気も感じる。
そこまでして、本当に日本は良くなるのか?
彼と同世代の知り合いが言った「あの歳で独身は困り者だ。」と。
具体的な話に戻って、
改革は他にもあり、郵政民営化だけが改革ではないと思う。
そうでなくても、対抗候補として送られる候補者は、地元でもない土地で、どう票読みをするのか?甲子園の高知高ように、いきなり出ろと言われても勝てないような気がして、そんな状態で戦って、終わったあとに本当の意味で郵政民営化を国民に問う選挙だったと言えるのかどうかも、また気になるところではある。
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自記事「ゆうせいみんえいか実現内閣」